中央アルプスの南木曽岳(長野)

406 南木曽(なぎそ)(だけ)(1679m)

407 長者(ちょうじゃ)(みね)(1575m)   

県=長野・南木曽 

同行者=石井さん、田中さん、斉藤さん

登山日:2007年12月23日


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 2007年も押迫った暮れに、伊那の山を訪ね南木曽岳を登って閉め括った。武田信玄の狼煙(のろし)台だった(じゃ)(とうげ)山(別添)を訪れ下山後に、現在名古屋在住の斉藤さんと合流した。治部坂(じぶざか)高原にある今夜の宿「横岳」に車を一台置いて、横岳に向う予定だったが、林道が通行不能なので長者峰へ雪が降りしきる中を斉藤さんの四車駆動車で向かった。登るに従い、雪深く山頂直下の広場に車を置いて、長者峰を踏んで宿に入った。

 翌朝、三州街道を北に進み、清内路(せいないじ)峠(水戸浪士武田耕雲斎が天狗党800名を(ひき)いて越えた峠)を抜ける。しばらく下り右の大きな案内板によって、南木曽山麓(あららぎ)キャンプ場へと導かれ、黒々とした自然林の中を進んで行った。  

 キャンプ場を抜けると未舗装となり、やがて車は進入禁止のゲートに突き当たる。南木曽自然探勝園のトイレと、避難小屋のある左手の駐車場に車を止めた。

南木曽自然探勝園のトイレ(右)と駐車場(左)

 積雪は(くるぶし)まで位で歩行には問題ない。あたりは常緑針葉樹の木曽五木の天然林で登高欲をかきたててくれる。装備を整え、田中さんを先頭に歩き出す。しばらくの間、額付本谷林道歩きを余儀なくされ、半時ほどで真新しい大きな案内板のある登山口に着いた。

 ここからひんやりとした蘭美林の自然探勝園歩道の木段を、緩やかに山腹をからんで登って行くと、下山時に降りてくる予定の分岐に着いた。一息入れてすぐに、(さわ)(べり)に出て谷を塞ぐ巨岩を越えると、涸れ沢となった。

 しっとり湿ったゴウロを三回ほど渡り返して、(のど)の滝の標識を右手に、木曽五木の林立が素晴らしい急登を喘ぎながら、時間を掛けて、自然林を楽しみながら登って行った。

 林床は低い熊笹が敷かれた中に、コウヤマキ・サワラ・ネズコ・ヒノキ・アスナロの純林が直立に林立していて、凛として天を仰ぐ姿が見事なものだ。

 やっと尾根道に出て、急坂が一段落したと思ったら、すぐさま一本調子の崩れかけた木の桟道の急坂が延びている。石井さんは体調不良で休む回数も増え、夕飯までに宿に入ればよいと勇気付け、又とない機会なので、変化に富んだ自然林を探勝しながら、ゆっくり岩間を抜けて鎖場をなんなく過ぎて一服入れた。

 ここから静寂の林間に向って先行者の2人に声掛けしたが反応はなかった。やがて木立が途切れると、両側が切れ落ちた岩稜にワイヤーとクサリのつけられた痩せたスラブ状の尾根を、何とか慎重に越えた。再び原生林のなかの急登に取りつき高度を稼いで行くと、「かぶと岩」の標識があり、右手の奥に雪を被った大きな岩魁が見える。

 ここでも、石井さんの体調の回復を整えるために再び休憩した。行く先には緩やかに天然木で造られたハシゴが続いている。雪は腐っているので、滑ることはない。やがて傾斜は徐々ゆるみ、スラブの大岩を越えて小さなコブに立った。

 右奥には急峻な南木曽の本峰が姿を現してくれた。左から回り込んで急登すると、頂上に飛び出すことが、彼らの掛け声で分かったので、安堵して元気を貰ったようだ。頂上直下の三留野への道を左に分け数々の困難な場面を乗り越えて、やっとの思いで田中さん、斎藤さんの待ちわびる頂を踏むことができた。

 先行したお2人とは2時間遅れの頂であると告げられる。地図を見れば2kmの道程(みちのり)を、標高差約600m登って来たので、可也(かなり)の急登であった事が伺える。雪に覆われた狭い山頂は、原生林に包まれ眺望は利かない。山頂表示石と表示板があり、三角点標石が顔を出していた。お二方(ふたかた)は既に昼食は済ませたとの事。

 北の開けた日当たりに移動して我々も遅い昼食を取りながら、雪で覆われた冷蔵庫のなかの様な頂で、長時間お待たせした事を深く詫びた。

 ヒノキやアスナロの若木を背に南木曽岳大神と刻字された大岩が佇む露岩から、雲上の彼方に中央アルプスの山並みと、昨日訪れた蛇峠山が眺望できた。

 残念ながら木曽の御嶽山は雲にお隠れされていた。北東方向は雲ひとつない晴天で広い台地上には屋根に雪を被った避難小屋が見てとれた。

越百山を望む

 ここから緩やかに下り、笹原の台地状のピークを越えて避難小屋からの道は南向きの尾根に取り付き、日陰が多かった登りとは打って変わって日当りも良く、あとは下るだけという気楽さも手伝って気分まで明るくなる。女岩の分岐に道標があり、上の原への道を北に分け東の下山道へと導かれる。

避難小屋先の展望台で石井さんと斎藤さんと記念撮影
日当りの岩峰で昼食 石井さんと斎藤さん 

 今までの急峻な登りと打って変わり、のびやかな頂稜歩きを満喫しながら、展望の良い台地に立つと、深い谷の先には頭を隠した恵那山が迫っていた。ここで休憩をとって、右に目を転ずれば白銀の木曽駒ヶ岳と三沢岳が聳えていた。

 一服して旧避難小屋のある窪地に向って下り、笹原の急坂を登り返すと、見事な天然ヒノキとシャクナゲの林に入り、摩利支天分岐を右に見送り、ここからが再び急転直下の岩や木の根が張り出した段差のある枝尾根に変わった。

 所々には段差を避けるために迂回したらしい踏み跡がつけられていたが、痩せ尾根筋では迂回路もなくなり、腰をかがめ足を伸ばせるだけ伸ばして、岩角や木の幹に(つか)まって大きな段差を下りなければならなかった。

 やがて長い木のハシゴやクサリ場を慎重に下り、ぐんぐん高度を落として行く。山道は樹林に覆われているが傾斜は強く、雪解けでぬかるんで手先から足の先まで泥だらけになった。ガレ場では注意しながら歩を進め、コウヤマキの自然林の支尾根に乗り高度を下げるに従い、左右の沢音が聞こえてきた。間もなく道は右手の谷川筋に移り、山腹を巻くように辿って登山道分岐に合流した。

コブ~大川入山を望む

 既に陽も落ち先行した田中さん、斎藤さんは既にパーキングに着いているだろう。 やがてヘッドライトを点灯させ、遊歩道を下って行くと、斉藤さんが迎えにこられた。車には暖房を入れてあり、心遣いに感謝して、投宿先の妻籠宿「嵯峨屋」に向った。

 帰宅後、山靴は三代目→四代目へ代替わりしました。そして、余程お気に召したのか、油絵を3枚書き上げたようです。

大天井岳~裏槍ヶ岳

ガルワールヒマラヤ

湘南~大山

山靴 四代目

Kanapi
Kanapi

*編集者からのひとこと*
1月2日は「初夢」です!
昔から初夢で1年の吉凶を占う風習がある。
初夢の夜は大晦日、元日、正月2日、節分等があるが、一般には正月2日の夜の夢が初夢とされている。
室町時代から、良い夢を見るには、七福神の乗った宝船の絵に「永き世の遠の眠りの皆目覚め波乗り船の音の良きかな」という回文(逆さに呼んでも同じ文)の歌を書いたもの枕の下に入れて眠ると良いとされている。これでも悪い夢を見た時は、翌朝、宝船の絵を川に流して縁起直しをする。
今日は何の日 毎日が記念日より引用

皆さんは初夢はご覧になりましたか?私は連休に入ってからは好きなだけ寝ているので、まだ見ていません…笑
吉夢をみるように、日頃の行いを気を付けようと思います。

さて、話は変わって都知事から政府に緊急事態宣言の発出を要請するそうですね。仕事始めまでに決定してほしいものです。

 

 
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