324 岩殿山(634m)
☆おまけ 猿橋
県=山梨県
同行者=ロッジ山旅木曜登山会(総勢7名)
【OMITSU評価】
歩=2時間 静=☆ 難=☆☆
登山日:2004年2月5日(天気:高雲り)
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~ 自然の要害をなした岩壁は超然たる気に満ちている ~
岩殿山
高月橋際の駐車場からコンクリートの歩道を辿る。上空の雲が厚くなり、お世辞にも行楽日和とは言えず…(泣)丸山公園で息抜きをして、大黒岩の基部のコンクリート階段をわき目もふらず登る。稚児落とし方面への分岐を過ぎれば、揚城戸跡だ。両側が巨大な岩であり、それを利用して城門を築いていたところである。まもなく稜線に出て右に進むと、岩殿山の展望台に出る。山頂の本丸跡へは、展望台から東へひと登りであるが、ここにはパラボラアンテナが立っている。なにせお目当ての「襟足の富士」が見えず、桜の名所も木々が色づかないので、眼下に拡がる箱庭の大月市街とおもちゃ列車の動きに目をやっただけで山頂を踏む。
礫岩の上に拡がる広い城跡に驚きながら、登る時は武田に反旗を翻した、城主 小山田信茂の戦国秘話を紐解いて、築坂峠から雅児落としまで足を伸ばさなければ、登った事にはならないと反省しながら車に戻る。
13:45 高月橋
14:30~15:00 岩殿山山頂
15:30 駐車場
猿橋
JR八王子駅から中央線普通電車に乗って約1時間。列車は桂川を縫うように走る。車窓から渓流と雑木に彩られた山を眺めていると、のんびりした気分になった。鳥沢駅を過ぎて猿橋トンネルを抜けると、猿橋駅に着く駅舎は、国指定名勝で日本三奇橋の一つである猿橋の「はね木」をイメージしてデザインされている。はね木は、橋脚を使わずに橋を支えるために両岸から張り出した角材のこと。猿橋は四層に組まれている。駅北口を出ると、正面に百蔵山が見えた。
猿橋へは駅から徒歩約15分。橋の歴史は古く、推古天皇の飛鳥時代、猿の群れが手を取り合って、桂川渓谷を渡る様子を見て造られたと伝えられている。長さ31m。1984年に約130年振りに架け替えられ、その後、補修された。歌川広重の描いた「甲陽猿橋之図」でも有名。ススキが揺れる橋のたもとから、深い桂川渓谷を覗いたら足がすくんだ。
猿橋駅から次の大月駅に至る車窓の右上には、巨大な岩峰が聳え立って眼に入る。これが戦国ロマンを秘めた岩殿山で有る。
■甲斐の猿橋
「岩国の錦帯橋」「木曽の棧(かけはし)」と並ぶ日本三奇橋のひとつ。
猿橋の珍しい構造の起源は定かではないですが、西暦600年ごろ、百済からやって来た造園博士の志羅呼(シラコ)がなかなかうまくいかず難航していた橋の建設の最中に、沢山の猿がつながりあって対岸へと渡っていく姿からヒントを得、ついに橋を架けるのに成功したと言われています。
猿橋の名前の由来もそんなところからつけられたそうです。※大月市観光協会HPには、素敵な写真や説明がまとめられておりますので
ご興味ある方は、ご覧ください。
大月市観光協会HP https://otsuki-kanko.info/
*編集者からのひとこと*
2月7日は「北方領土の日」です。
日本政府が1981(昭和56)年に制定。
1854(安政元)年12月21日(新暦1855年2月7日)、日露和親条約が締結され、北方領土が日本の領土として認められた。
北方領土は択捉島・国後島・色丹島・歯舞諸島からなり、面積は4996平方kmで沖縄の2倍強ある。
江戸時代から日本は北方領土の開発・経営をしていた。「日露通好条約」により、ロシアとの国境が択捉島とウルップ島との間に確定された。その後、1875(明治8)年の「樺太千島交換条約」によって樺太全島を放棄する代わりに千島列島全てが日本領となり、1905(明治38)年の日露戦争の勝利により、「ポーツマス条約」で南樺太も日本領となった。
第2次大戦の敗戦により、1951(昭和26年)の「サンフランシスコ平和条約」で、日本が戦争によって奪った土地の権利・権原等は放棄することとなり、千島列島もその中に含まれた。しかし、北方領土は戦争によって獲得した土地ではなく、権限を放棄する千島列島には含まれないが、ソ連は千島列島の一部であるとして北方領土を占領し、その状態が現在まで続いている。
~今日は何の日 毎日が記念日より引用~
明日から寒暖差が激しくなりそうですが、体調は崩していらっしゃいませんか?2月に入り、今年も花粉も飛び始める時期になってしまいました…早めに薬を飲み始めてはいますが、このご時世くしゃみも人目が怖いので花粉症の方は一緒に乗り切りましょう。