117 高館山(302m)
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高館山
県=栃木・益子
OMITSU単独(バイク)
登山日:2014年3月29日(天気:快晴)
坂東三十三観音霊場廻りを昨年から実施した。四国・秩父・坂東霊場を終えると最後の長野 善光寺参りで結願となり今年中に達成したい。
今回は、栃木の益子にある二十番札所である独鈷山 西明寺を参拝した折に、裏山である高館山を訪れた。休日の好天日であったので、焼き物で有名な益子市街は混雑していた。益子駅で頂いた観光地図を見ながら、裏道を抜け、渋滞に巻き込まれずに郊外の長閑な田園風景を楽しみながら西明寺に至った。参拝を済まし、納経所で高館山への登山道を聞いて「権現平へ」の道標に従い登りだした。
西明寺から登山道の両脇には大木のシイやカシ、ツバキなどの暖地性常緑広葉樹林が見られ、この一帯を椎林と称し、アラカシ・シラカシ・ウラジロガシやアカガシなど殆どのカシ類が見受けられる山道を登って行く。間もなく東屋の建つ権現平に出た。広場で一服いれて、一旦下って車道を横切り、階段状に整備された急坂を登る。未だ芽吹きもしてない枯れ野を進み、台地上に飛び出す。
辺りは落葉樹で所々に岩が露出している。三角点標石は東の隅の小高い所に。山名標識も近くの木に2枚あった。下山後、次の訪問地大谷観音へと向かった。
渡良瀬遊水地
県=埼玉・栃木・群馬・茨城 四県に跨る
同行者=石井さん
登山日:2014年11月15日
足尾鉱毒事件で田中正造が孤軍奮闘した谷中村跡を訪ねようと、石井さんを誘ったところ、快くお引き受け頂き急遽訪れた。
佐野市(小中村)の名主の家に生まれ、16歳で父の跡を継いだ。
それからの正造は、自由民権運動に加わり県議や第一回の衆議院に当選。その後、6回当選を重ね、渡良瀬川沿岸一帯が足尾銅山の鉱毒の恐ろしさを色濃くした。
鉱毒被害に苦しむ人々の話を聞き、「病気以外は1ヶ所に2泊することなく」被害地を隈なく、半年で1800km以上も移動して、公害の原点である足尾鉱毒に「真の文明は山を荒さず 村を破らず 人を殺さざるべし」「これが文明か」と激怒して、1901年議員を辞職し、明治天皇に直訴。明治4年に谷中村に移住し、村を強制廃村にして、遊水地を造る計画に抵抗した。晩年は、関東各地の河川の実態調査にあたり、「電気通じて世間は暗い」と言う名言を残した。生前、自宅ほか全財産を故郷振興に寄付し、臨終の枕元には菅笠と頭陀袋。中身は日記や草稿、新約聖書、帝国憲法、塵紙と小石3個。これが全財産。
イネ科のヨシとオギが3m程に成長し、一歩踏み込めば方向が分からなくなる、広大なエリアの谷中村跡を訪ねた。
渡良瀬遊水地は、東京から60キロメートルに位置しております。
群馬、栃木、埼玉、茨城の4県の県境にまたがる日本最大級の遊水地です。
広大なヨシ原が特徴で、貴重な動植物が数多く確認されており、
平成24年7月にはルーマニアで開催された
第11回ラムサール条約締約国会議において、
ラムサール条約湿地(国際的に重要な湿地)に登録されました。
*編集者からのひとこと*
3月3日は「雛祭り」です。
女の子の健やかな成長を願う伝統行事。女の子のいる家庭では、雛人形を飾り、白酒・菱餅・あられ・桃の花等を供えて祀る。上巳の日には、人形に穢れを移して川や海に流していたが、その人形が次第に精巧なものになって流さずに飾っておくようになり、雛祭りとして発展して行った。
~今日は何の日 毎日が記念日より引用~
tamoが本業が忙しいので代理で更新します。
今日はひな祭りですね♪我が家では、昨日から下準備して、おいなりさんとハマグリのお吸い物を頂きました!なぜ、ひな祭りにハマグリのお吸い物がメニューにあるのかご存じですか?
2枚貝はもともと対になっている貝とだけぴったり合います。他の貝とは合わない=1人の伴侶と末永く暮らすと言うような、仲の良い夫婦の象徴とされています。また古来、2枚貝はお姫様をあらわす意味もありました。このような理由から、将来良い夫婦になれるようにとの願いをこめて食べるようになったそうです。