322 身延山{ミノブサン}( 1153m) 標高差 約700m
県=山梨
企画=ロッジ山旅
同行者=坂本さん、藤井さん、長沢さん、渓ちゃん、岩路さん、難波さん
登山日:2004年1月29日 (天気:晴れ)
★参考タイム:合計7時間25分
10:20 久遠寺
11:20 三光堂
13:00~14:00 奥の院
14:25 追分
15:45 旧歩道を引き返し
16:30 林道に戻る
16:45 千本杉
17:30 妙石堂
17:45 車道着
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汗みどろになって歩けば新発見がある。石井さんが良く話す、『山登りは頂上に立つ事が目的の一つで有るが、そこに達するプロセスが大切で、結果として登頂がついてくる。』その点、今回の身延山への山行はロープウェイ利用という先入観念があって、登行意欲が乏しかった。(思い込みであった。)企画した長沢さんが動力を使っての山歩きを企画する筈もないと思い返し、参加した。山旅を終えたら、この山に秘められた歴史の重み、そして変化の富んだズッシリと感じる楽しい山行であった。
身延駅で坂本さん、長沢さん等と合流。山門から287段の階段を敬遠して、巻き道を回り込み、久遠寺裏手の山道を10時過ぎに入山。コンクリート舗装が杉木立の深い山腹を捲く。参道の脇に個人の墓地が点在し、数字を刻んだ「丁石」が次々に立ち、杉の大木の樹皮が剥かれ、真新しい木肌が紅色に染まり見事なもので全山が寺領だ。
程なく、「尼僧団本部」の建物前の窪地に、苔むした石碑がギッシリと積み上げてある。この数に圧倒され、居合わせた参道掃除の婦人に尋ねると、この山を整備した時に発見された無縁仏で約4000体が合祀してある由。日蓮上人が鎌倉幕府.時の執権:時頼に、立正安国論で治世の要道を説いたものの、佐渡に流罪。そうして放れた時、この地を支配する南部六郎:波木井実長が向かい入れた。時に1274年。以来、日蓮宗信者の聖地として730年、その歴史の証が小さな石碑の群れが物語っている。
「お山は快晴 六根清浄 懺悔(ざんげ)懺悔(ざんげ)」 にわか信者が歩き出して、鬼子母神堂や丈六堂など、幾つもの堂宇に手を合わせながら、緩やかな登りを進み休憩場所の三光堂に着き、汗を絞り一息いれて尾根沿いに残雪交じりの杉木立の道を登る。
枝越しにはナナイタガレの威容を誇る七面山や天子山塊が顔を出す。要所に丁石と杉苗の寄進者の石柱、その数が何万本、無信心の私には想像がつかない額で、信仰に帰依する人の心の重みが伝わる。
この参道は至る所に文化財指定の(坊)(堂)(塔)があり時間が足りない。歴史探訪は次の機会にまわして五十丁の登りを終えて13時、人影の少ない奥の院に到着、遅い昼食を裏手の展望台でとる。
一点の雲も無い晴天に恵まれ、八ヶ岳や奥秩父が遠く、雪を抱く富士山・荒川三山・白峰三山・塩見岳など3000m級の山々が揃い踏み。前衛の富士見山や七面山そして三石山が近くで迎えてくれた。この眺めを何時までも見ていたい気持に駆られ数年若返った気分だ。
14時、裏参道に向けて重い腰をあげる。ルートは西に伸びる尾根を下り七面山ルートの、追分にある感井坊から分かれている。図上(二万五)のルートは2本で、長い林道を避け、急傾斜の歩行ルートをとる。間もなくルート閉鎖の看板があったが、踏み跡が明瞭で残雪も5~6㎝、登山道と張り切って下りだしたものの、派生尾根のトラバース地点が崩落しており、更に3つある木橋の腐りが酷いなど、ルートが完全に死んでいる。下りたい気持ちを抑え、メンバーの安全を優先して長沢・坂本さんが引き返す事を決定する。
時間ロス1時間半で林道に戻り、残雪に記された沢山のイノシシの足跡に驚きながら下る。突然、落石を思わせる音と同時に、足元の沢から太った三頭の親子連れが至近距離を怒涛の如く駆け抜ける。我々にもあの迫力がほしいものだ。思いもしない出来事に皆大喜びだったが、ふと敦賀の木の芽峠の前川永運氏が150kの猪を鍬(くわ)で狩(か)っぱいて仕留めた話を思い出した。林道が裏参道に変わっており、途中から林道と分かれて、松樹庵 妙石堂をたずね、西谷の歩道で久遠寺から届く荘厳な読経の音を耳にしながら、各自ヘッドランプを灯し、暮れた車道に出て18時近くに駐車場に着いた。
*編集者からのひとこと*
1月16日は「禁酒の日」です。
1920(大正9)年のこの日、アメリカで禁酒法が実施された。
清教徒(ピューリタン)の影響が強かったアメリカではアルコールに対する強い批判があり、20世紀初頭までに18の州で禁酒法が実施されていたが、これが全国に及んだ。
飲料用アルコールの製造・販売等が禁止されたが、密造酒による健康問題や、アル・カポネを始めとする密売にかかわるギャングの出現等逆効果を招いたため、1933(昭和8)年2月に廃止された。
~今日は何の日 毎日が記念日より引用~
今日は「禁酒の日」です。このご時世ということもあり、リモートワークになってからは飲む機会はほとんどなくなりました。逆にOMITSUは、休肝日もなく毎日晩酌を楽しんでおります!お年もお年なので、健康のためにも見直してほしいと思う孫の気持ちは、まったく本人には届きそうもないです(笑)