41 小影山(558m){コカゲヤマ}
県=秋田 抱返り渓谷 コーディネーター=佐々木昇氏
同行者=斉藤さん、田中さん、他旧ブナ倶楽部10人
登山日:2003年10月17日
Outdoor Style サンデーマウンテン
昨年に続き恒例の「東北山旅」ネイチャーガイド白神の佐々木さんから『抱返り渓谷の日本一のブナと、小安峡の三山紀行』の案内を頂いた。斉藤さんを誘って、秋田新幹線で田沢湖駅に降り立った。斉藤さん、田中さん以外は1年振りの再会。佐々木さんの運転するマイクロバスで抱返り渓谷へと向かった。
久々の再会での車内は、過去と未来の山談義で溢れ、皆元気な様子である。半時も走った頃に小影山の登山口である、抱返り園地の駐車場に着いた。車から降りたった対岸には、目指す小影山が横たわっていた。
佐々木さんから「これからあの山麓に日本一のブナをお目に掛かりに行きます」「道のない山なので、サブリーダーの高橋さんが、しんがりを務めます」と紹介があり、高橋さんから「お近づきの印に」とお弁当の差し入れがあった。
それは秋田弁で書かれた解説付きの風呂敷包みだった。
- ぼたっこのにぎりまんま(塩鮭のおにぎり)
- いぶりがっこ(燻製のたくわん)
- 稲庭うどん
- 卵焼き
- 千秋りんご
- さく(秋田でしか食べられないエゾニュウという山菜の漬物)
抱返り神社から歩き始める。畦には春でもないのにマキノスミレが狂い咲きしていた。東北電力の巡視路を一気に急登して鉄塔のあるコブに飛び出した。
振り返れば谷を通して対岸の山裾は秋酣で、陽が照っていれば素晴らしい眺めだろう。生憎の高曇りで今一だ。ここから斜面を稲妻型に登り、やがて傾斜も緩んだ頃に、あたりの植生も変わりブナやカラマツの林立が目立つ様になる。
傍にはクリタケも生えていたが、先行者に導かれ一目散に進む。防火帯を埋めるススキの穂波は銀色に輝き、谷を越した遥か先には三角形の白岩岳が霞んでいた。
ここから原生ブナ林へと誘い込まれ左下に渓谷を見ながら、笹で覆われた踏み跡を辿る。辺りのブナの幹には熊の爪痕が点々とあり、熊の生息域に入った。カエデの赤と落葉広樹の黄色、そして針葉樹の緑のコントラストがとても素晴らしい。
やがて踏み跡は、やや下りに掛かりブナの大木が目立つ様になる。窪地を越えて右に回り込むと、樹林に囲まれて狭い尾根上に山頂表示のない、三等三角点がある小影山に立った。
見通しの利かない山頂から、更に奥に踏み跡を辿ること五分で、ブナやミズナラの混交林の中に、日本で第二の幹周りを持つ「ブナの古木」にお目に掛かった。ガイドの説明では、樹齢400年、幹周り6.7m、高さ33mで、非常に価値のある樹木であるとの事。
根元は時代を感じさせるが、主幹から二本に分かれた枝先は枯れ枝が目立ち、樹勢にやや翳りを覚えさせる。
この山域は湿潤な台地上で、陰湿さを感じさせない静かな混交林で、カツラの芳香が微風に乗って漂い心を洗われる気持ちになる。
下山は佐々木さんお奨めの踏み跡の周遊路を辿った。山頂稜線に戻り秋田駒ヶ岳を望み、方向を北にとり急坂を一気に下り神代ダムの堰堤に降り立った。ここから紅葉に彩られた遊歩道を、抱返り渓谷に沿って下り、回顧ノ滝を眺め「飯村少年鬼神の地」の実話に心打たれ、朝出掛けた園地に無事戻った。
今夜の投宿先である中里温泉へと仙北平野の穀倉地帯を走り、ほぼ斜めに陽が差し込む頃に町営の一軒宿に靴を脱いだ。
■追記
現地の「飯村少年鬼神ノ地」碑によると、「己は死んでも妹は死なせない」 昭和10年(1935)10月、尋常小学校五年の飯村秀二が紅葉真っ盛りの抱返り渓谷に友達と妹(トヨ子)を連れだって4人で訪れ、昼食時に妹が誤って川に転落したが、それを見た兄の秀二は鬼神の様になって、助けようと眼下の峡谷に飛び込み、岩で脳天を打ち砕かれ即死した。幸い妹は遊山客に救われて助かったという実話。
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