初心者から中級者までバラエティ豊かなコースがある~大菩薩嶺~(山梨)

349 大菩薩嶺{ダイボサツレイ}(2056m) 高度差1000m

県=山梨県

同行者=ロッジ山旅木曜登山会(総勢11名)

【OMITSU評価】歩=8時間 静=☆☆☆

登山日:2004年12月9日(天気:高曇り) 


ブログランキングに参加しております!
あなたからの読者登録大歓迎です♪

OMITSU
OMITSU


人気ブログランキング

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村
【参考タイム】
丸川峠入口    7:55発
丸川峠      10:10~10:45(気絶10分)
大菩薩嶺     12:05
雷岩       12:15~13:00
賽の河原     13:20
大菩薩峠     13:40
福ちゃん荘    14:30
上日川峠     14:50
丸川峠入口駐車場 16:00

 関東山地の西側に聳え、南斜面はカヤトの原、北斜面は鬱蒼とした水源林に覆われ、南麓には、中里介山の名作で知られる大菩薩峠がある。開放的な原と豊潤な針葉樹林とが織りなすなか、その魅力が凝縮されているのが大菩薩嶺~大菩薩峠周辺の頂稜であろう。12月に入っても師走の焦燥感がない不思議な年の暮れ。今回も「ロッジ山旅」の山行に大部隊の11名が参加する。これも暖冬異変の兆しか。

 「大菩薩嶺」は山梨を代表するハイカーの人気コース。山腹に林道が入り一層手軽になったが、長沢さんが選んだルートは遊び心に抵抗してか、雲峰寺の上から丹波山に通じる駄馬の古道を、丸川峠を越え大菩薩の山中を歩く高低差1,000m、8時間強の長いルートだった。暖冬でも丸川峠付近は生長した霜柱と、稜線では凍み上がった表土に足をとられ、また凍結した所もあり記憶に残る初冬の山行になった。

 最近は、どういう訳か長距離の山行は期待が大きいのか、夜が眠れなくて困ったものだ。夕べも22時には寝床に入ったものの夜中の2時頃までウツラウツラ…
仕方なく、3時に起床して3時30分にはバイクで出発した。
寒さの中、一路塩山を目指して中央高速を利用して7時30分に裂石集落に到着。

 裂石で長沢さん等と合流し、丸川峠入口の駐車場にバイクを置いて8時前に出発。
みそぎ沢沿いの道に陽ざしは入らず、冷えひえした堰堤工事用の道路をつめて、枝尾根の急登がはじまる。丸川峠まで2時間半の単調な上り、焦りは禁物と決めているから、早めに息継ぎ休憩を繰り返す。変化の無い坂道の連続、三枝さんが「見てみて、変わった蜂の巣」枝にパイプオルガンの筒を横に並べたような奇妙な巣を見て気分が変わる。枝尾根の切れ目に息のぬける平もあったが展望も開けず、枝越しの南方に砥山と富士の遠望があるだけ。この道は確かに荷駄(にだ)の通い路だ。

丸川峠より振り返れば富士山

柳沢峠への分岐

 標高1,600m先の急登を上りきり、歩きだして2時間、緩くなった稜線で腰を下ろしかけると、『その先が峠だ。あと少し』西野さんに告げられ、慌てて歩きだす。それにしても皆さん足腰が強い、老年期になると男女は関係なさそうだ。

 峠付近はスリ鉢状の枯れた草原、道の両脇に麻ロープで侵入規制。夏に来ればお花畑が美しい事だろう。旅館に例えれば木賃宿風の『丸川荘』は無人だった。裏手に朽ちかけた木彫りの地蔵が2体、道の分岐に立っている。この仏像は、『小屋番の只木さん先代が作られたものである。』と、以前に石井さんに聞いたことがある。

木彫りの仏像

丸川峠と木彫り地蔵尊

丸川峠から富士山

 有料トイレの案内板にも主人の人柄が偲ばれ、会ってみたくなる。女性トイレ壁面に横浜の中村さんが書かれた丸川峠付近の絵が見事に書かれていた。小屋の前から草原の彼方に見える富士がメルヘン調で情緒があった。大休止30分。氷の丈が10cm程の霜柱、懐かしい土の凍り道。なるべく壊さないよう草を選び歩いて、国中と郡内の分水嶺の稜線に立つと、雪を頂いた南アルプスの山並みが視野に美しかった。

 分水嶺の道は、この季節には不都合の北斜面でハリモミの原生林を辿るから、日差しが無く寒い。凍み上がった路面を壊すと、バランスがくずれる。前を歩く長沢さんが、『田部重次が遭難しかかったのは、ここから直下に沢に入ってしまった。』と教えてくれた。ガラガラ石と木の根の拾い歩きを続けていると、頂上直下100mの地点で、頭がフラフラしてきて真っ白になった、長沢さんに調子の悪いことを告げた。

 これは、やばいことになった。頭の中を色々な事が過ぎる、昨夜の寝不足と半袖シャツだったので体の芯が冷え切ってしまったのだろう。早速ザックから長袖シャツとフリースを着込み、酸素ボンベを取り出し横になって3分ほど酸素を注入し元気が出てきた。

 不眠時の山行は危険だ。今後は無理をせず取りやめを決断する事を肝に銘じ反省していると、長沢さんが上方でいわく、『先日西野さんと同行していた山友達が雁坂峠から十国峠までの尾根歩き中に、ぶどう峠付近で心筋梗塞で急死した。大丈夫ですか?』と脅かされて、再度不眠はやっぱり堪えると反省。長沢さんの待つ、展望の無い最高点の「大菩薩嶺」に着く。記念写真を撮って頂いて、皆さんが待つ雷岩へ。

賽の河原から大菩薩嶺を望む
大菩薩嶺

 ○○山、△△岳になじむ登山者には、山頂が『嶺』ではしっくりこない。小林経雄氏が著書「甲斐の山々」で犬藤・神金地方では「萩原山の鍋頭」丹波山方面では「大黒茂山」と呼んでいたと書いてあるが、「大菩薩岳」と命名してほしかった。戦前の陸地測量部のウッカリミスか。

 三角点に触れ南方の雷岩に移動して昼食。見下ろすと草原の先、尾根の間に青く水を湛えた葛野川ダムが目につき、展望にアクセントをつけているが、高曇りで展望はいまいちだ。強い西風で肌寒く昼食もそそくさと済ませ、大菩薩峠に向かう。霜柱が溶け、ぬかるんだ登山道を脇見もせず下り、神部岩で『ここから下る富士見新道が通行禁止だ。』と長沢さんが情報をくれる。

 下山は速い。たちまちカヤトの稜線を下り、堅牢なログハウスの避難小屋がある賽の河原に着く。ここはかつての青梅街道の旧峠だったが、風の強い通り道で遭難者がでて「親不知」の名が付き、明治8年(1875)峠を現在の場所に移したとされる因縁の場所だ。目の前のコブ(親不知の頭)を越えて一時半に大菩薩峠。今日は静かな峠だ。

大菩薩峠~大菩薩嶺

 付近には中里介山の文学碑・五輪の塔と地蔵、収容力のある介山荘、それに市営の休憩小屋も建設中で、通ってきた北の丸川峠とは比較にならない賑やかさだ。かつて、大菩薩峠には上・下・二つの峠があり、上峠(丹波山大菩薩峠)が賽の河原、親不知の地点、下峠(小管大菩薩峠)は石丸峠で、里人は行き先によって使い分けていた由。時間が許せば上峠の東寄り、荷渡し場まで足を伸ばしたかった。

 介山荘の前から作業車道を上日川峠に向かう。車道の下りに緊張感はなく足にまかせて、甲斐大泉駅の上に居を構える岩本さんの、高冷地での野菜づくりの苦労話を聞きながら、中里介山と親交のあった益田勝俊の記念碑の建つ勝縁荘を通過。舗装が広くなって唐松尾根の起点、福ちゃん荘前にでる。

介山の碑~熊沢山 ガスが湧き出す

 標高1,700m土産物と山小屋の福ちゃん荘は、まさに平成の大菩薩峠登山口の観、ここまで車で上がれば気楽なハイキングコースの起点だ。足元に優しい唐松林をルンルン気分で下り上日川峠、長兵衛山荘の交差点から再び山道を1時間強下りにくだり、丸川峠入口の駐車場に四時ピッタリに戻り、車社会に背を向けた執念の大菩薩嶺の山行きを終えた。帰途は柳沢峠をバイクで一人旅。道路が凍っているので、安全運転。途中、横田基地でラーメンを食べて帰宅。

【植生樹木】
ブナ・ミズナラ・ハリモミ・コナラ・リョウブ・アカマツ・ダテカンバ・ズミ・シラビソ・ツノバシバミ・イタヤカエデ・シナノキ・ドウダン・ミヒ・ヒメバラモミ・ツガ・コメツガ・モミ・サワラ・オオバヤナギ・ノグルミ・シラカバ・チチブミネバリ・オレオレカンバ・ミズメ・ネコシデ・ハンノキ・クマシデ・ホウノキ・イヌシデ・イヌブナ・カシワ・クヌギ・アベマキ・イチイガシ・ハルニレ・ケヤキ・エノキ・フサザクラ・カツラ・コブシ・サネカズラ・アブラチャン・シロモジ・マンサク・ノイバラ・モミイチゴ・ミヤマザクラ・ノカイドウ・タカネナナカマド・キハギ・ツタウルシ・ヤマハゼ・ヌルデ・エゴノキ・ヒョウタンボク・ウグイスカズラ・フジベニウツギ・アズマシャクナゲ


Kanapi
Kanapi

*編集者からのひとこと*
1月20日は「アメリカ大統領就任式」です。
西暦年が4で割り切れる年の翌年。アメリカ合衆国憲法修正20条で、大統領の任期は1月20日の正午に終了することとされており、その瞬間から次の大統領の任期が始る。
今日は何の日 毎日が記念日より引用

朝からアメリカ大統領就任式」のニュースばかりでしたね。トランプ政権⇒バイデン政権へ。コロナ禍と議会襲撃事件もあり、極めて異例の政権交代。まさかのあの方は式典欠席して別荘に旅だったそうですし…何より、無事に式典が終わることを祈っています。


 

 
当ブログで使用しているWPのテーマはTHE THORです。あなたも仲間入りしませんか?
・圧倒的にSEOに強い
・上位検索されやすい上に集客にも拘っている
・“デザイン着せ替え機能”が9種類もある
・ワンクリックでプロのデザイナーサイトが作成可能。

 

当ブログで使用しているドメインはお名前ドットコムです。
・ドメイン新規取得が1円~
・レンタルサーバー同時申し込みでドメインがずっと無料!
・サポートも日本語で安心!!
最新情報をチェックしよう!