インド|初めての海外登山ヒマラヤへ⑤


更新日:令和3年7月18日|初めてのインド「ヒマヤラ紀行」を数回に分けてご紹介いたします。今回はゴーソン⇒クララ⇒クアリ峠編となります。希少種のエビネが咲き誇っており、段々状のチャニー、手動で精粉をしている方、裸足で走り回る子供たちにも出会いました。富士山より高いクアリ峠にも登頂できた山旅となっております。


ガルワールヒマラヤ紀行⑤ 

◆都市:インド:ガルワールヒマラヤ紀行
◆登山日:2008年6月4日~19日
◆同行者=石井さん・田中さん・鈴木さん

ゴーソン⇒クララ⇒クアリ峠(4268m)

草原を降りて行き、深い森に入る所に祠(ガネッシュ)が有ったが、
中には大きな古木と丸い石に{紅を額に印}シンドゥール
(女性が結婚している印)がしてあり、花などは供えられていなかった。
歩き込んだ道の急斜面を一気に下る。

急斜面

あたりは高さ30mもあるビャクシンやヒマラヤシーダー
(ヒマラヤ杉)が林立していて圧巻だ。

ヒマラヤ杉
ヒマラヤ杉

落葉高木のトチノキやホウノキの花も所々に見受けられ、
豊かな森が茂り林間には日本では希少種のエビネが並列して咲き誇っていた。

日本では希少種のエビネ
日本では希少種のエビネ

道端に落ちていたロバの蹄鉄を拾つたら、ガイドのサンディシュが、
これは縁起が言い今回の山行は、これが守ってくれると言ってくれた。

 

林床には倒木がたくさんあり、倒木更新も進んでいるようで、
燃料には事欠かない山域だ。更に下ると段々状のチャニーが現れた。
低い家で周りを石積で囲い泥粘土を塗ってある。

チャニー
チャニー

そして屋根に数本の柱を渡し、茎の長い草で葺いた簡素なもので、
窓や出入口の戸というものが無く、竹で編んだ扉が入口に立て掛けてあった。

 

ここで一息入れていると、家からぞくぞくと出てきて、
言葉は通じないが笑顔で写真におさまってくれる。

婦女子供たち
婦女子供たち

 

貧しさの中にも明るさと優しさが、
今の我々に失ったものを学ばせた長閑な昼下がりだった。

 

地元の人々

家の中を覗いてみてびっくり、広い土間には家財というか、
日本で言うガラクタにあたる物が何も無い。

 

あるのは布で包まれたベツトと着物、土で造られた小さなカマド、
良く磨かれた鍋や皿と壷が置いてあり、隅に焚き木が少々ある程度で、
非常に綺麗なのには驚いた。整理整頓をするという事はこういう事だと教えられた。

 

それにしても、限られた耕地に、農業と牧畜で自給生活を営んでいる。
厳しい自然の条件に耐えて、つつましく生きながらも、
心豊かに生きている姿に、畏敬の念を覚えさせられた。

 

さらに下ると急斜面にへばり付くように集落と棚田が見え、
反対側にはドロナギリがお別れをしてくれた。
この山域に入って水車とういう動力に会う。

 

小さな小川の急流を利用して威勢良く麦を挽いていた。
小屋を覗くと古老(30才位)が笑顔でこちらを向いて、
何か喋ってくれたがわからない。

 

彼の製粉のやり方は、天井から二本の綱を下ろして竹で編んだ篩を支え、
挽かれた粉を篩に入れて手動で選り分ける素朴なやり方だった。
やっと里に下りて来た。  

製粉中
岩塩を砕く牧童
岩塩を砕く牧童

家々は廻りに石を積んだ造りで(カルカ)屋根は板葺きで、
数多くの石で押さえてある。

外壁には燃料として使う牛の糞(アラガル)が天日干してあり、
近くの庭では女達が懐かしい蓑を使って、
風に任せて豆と殻を分別していた。

集落を歩いていると、女 子供ばかりが目に付く、
男は山へ出掛けているのだろう。

 

裸足の子供が後を付いて来る、娯楽の少ない土地だけに、
異俗の人を見るのが珍しいのか、細い腕を伸ばして来たので日本の菓子をあげたら、
いつの間にか静かに歩度を合わせて着いてくる。仕方なく菓子を全部あげた。

チャニーで記念撮影
チャニーで記念撮影

お陰で道を誤りサブガイドのラベンドラーが探しに来てくれたので、
500mほど急坂を引返すだけで済んだ。

先行者はナンダ・デビィの展望所で待って居てくれた。
ここでもナンダ・デビィは姿を現してくれなかった。

記念写真
残念ながらナンダ・デビィの姿は見れずクアリ峠で記念写真

ここから見る谷底は広く雄大で平原のように見えるが、
ほとんどが緑濃い森林に覆われていて、
川に架かるつり橋が米粒のように小さく見え、
まだまだ山深い高山地帯であると感じさせる。

大木と記念撮影
大木と記念撮影

農家の庭先のような迷路や畦道を通り抜け、やっと車道に飛び出したが誰も居ない。
ここでも迷い石井さんと待っていると、
またもや馬子のルプ(十八歳)が私たちを探しに来てくれた。

馬子のルプ

サービス精神の旺盛な良い子で感心する。
車道を少し下って行くとダークという場所で、皆で待っていてくれた。

 

ここはトポバン(Tapoban)のやや上のバス停で、
車が迎えに来てくれていた。ここで馬子二人とコック一人とのお別れで、
全員で記念写真を撮って別れを惜しんだ。ご苦労さんでした。ルプちゃんお元気で!

記念写真

我々は車でジョシマートに帰るが、
彼ら馬子とコック合わせて3人は歩いてポニーと
16kmの道のりをジョシマートに帰る。

夕刻にホテル「ドロナギリ」に入る、相変わらずホテルの前の道路は混雑している。
ベランダから外を眺めると反対側には大きなアンズの木があり、
色付いた実がたわわに実り、歩き巡礼者が採って食べていた。

故障した車が立ち往生しているのも渋滞の一因で、
余り電子部品を使った車はなさそうで、
この辺りではメカに強くなければ運転も出来ない。
夜は久し振りに停電を経験した。

 

ジョシマート → ゴビンダガード 

 

翌朝 ホテルで簡単な食事を済ませ、
一路ゴビンダガードへ向けて出発したが、大渋滞で殆んど動かない。

この道路はチベットとの国境のマナ峠に至る、
重要な幹線道路で途中のマナ集落まで通じている。

そのためインド軍の国境警備隊の検問で渋滞していた。
約1時間のロスだったが、この程度はインドでは常識との事。

谷

エンジンを掛け直し出発する。建設中の大きなダム工事中の脇を抜け、
高いフェンスで囲まれた軍の施設を通り過ごし、
舗装された片側一車線の急峻な山岳道路を進む。

一本道
片側一車線の急峻な山岳道路

ガードレールはコンクリートで出来た車止めが何ヶ所か有るが、
長距離は施してない。一歩間違えれば千尋の谷底へ突き落とされる。

まだまだ歩き巡礼者は続き、各々の格好はターバンにシャワーキャップを被り、
シートと袋を肩に掛け、サンダル履きか裸足で、
手にはカンテラ見たいな真鍮で出来た(カンヴァド)という容器を提げて歩いている。

山々
山々

この容器は三段位になっており食事用と、
聖地のガンガーの水を故郷に持って帰る為のものらしい。
道路の空地には彼らが泊まれる、黒シートで覆われたバラックが何ヶ所かあった。

 

ハリドワールからヒンドゥー教の聖地バドリナートやシーク教の聖地ヘ
ムクンドまで300km以上歩くことになる。(参考までに四国遍路は1400km)

 

特にこの街道は、若者のシーク教徒のバイク組も多く、
ヘルメットも被らずオレンジ色のターバンを身にまとい、
黒のサングラスでクラクションを鳴らしながら颯爽と走って行く姿は月光仮面そっくりだった。
崖淵をヒヤヒヤしながら、やっとゴビンダガート(Govindghat)に到着。

ゴビンダガート
ゴビンダガート

標高は1828mで、ここで車からザックを降ろし、
体調不良の石井さんはガイドのサンディシュと最奥のマナ集落へ、
僻地見学に行くため別行動と成った。

今日は晴天に恵まれ、いよいよ待望の花の谷へと入山する。
期待通りに正に花々が粧(よそお)っている事を願うのみ。
強い陽射しに頭上では見たこともない白とコバルトブルーの
斑模様の蝶が番(つがい)であろうか優雅に上へ下へと舞っていた。


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OMITSU
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管理人から令和のこそこそ噂話★
7月17日は「光化学スモッグの日」です!

1970年のこの日、東京都杉並区で日本初の光化学スモッグが発生した。
立正高校で体育授業中の生徒が突然目の痛みや頭痛等を訴えて倒れ、
43人が病院へ運ばれた。東京都公害研究所は、
窒素酸化物(NOx)が紫外線によって有毒な物質に変化して
起こる光化学スモッグであると推定した。
~今日は何の日から引用~
光化学スモッグ注意報はよく小学生の頃聞いていました。
とても懐かしいですww
今日は寝室の断捨離をしました。
断捨離をすると気分もすっきりしますね~
夕方とても綺麗な夕焼雲を見ることができました。

Tamo24
Tamo24
本日の夕焼け

 

 
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