更新日:令和3年9月19日|体力★★★★★ ・展望★★★★★・静けさ★★★★☆・技術★★★★★ ・危険度★★★★☆・中上級者向け|全国の薬師岳の最高峰で大展望も期待でき、また多方面からも入山可能。北カール、金作谷カール、中央カール、そして南稜カールの4つの圏谷(カール)が並んでおり、これらは薬師岳圏谷群として国の特別天然記念物に指定されているので、要チェック!
◆都道府県:富山・北アルプス ☆百名山☆
◆同行者:田中さん
◆登山日:2008年8月24日~25日
1日目(8月24日)
松本から安房トンネルを抜け、神岡に向かって走る。
駒止橋を右折して林道に入り、材木岩と百間滝を遣り過ごし、天蓋山の麓の山吹峠を越える。
大鼠山への道を右に分け、打保谷川沿いの打保集落に入り、今夜の宿である下之本の中井旅館に着いた。
長閑な山村で、この集落の先にはもう人家は無い。
夕食時に宿の女将から「有峰林道のゲートが朝7時に開門する」と伺い、早めに床に着くことにした。
翌朝、未だ夜が明けぬうちに出発した。
寺地山~北ノ俣岳(上ノ岳)への登山口に達すると、朝靄が立ち込め道路が湿る程度に濡れていた。
飛越トンネルを抜け、有峰林道東谷線を東谷に沿ってくねくねと下って行く。
早朝の両岸の山並みは目が覚めるような瑞々しい緑に覆われ、木々も小鳥も生きいきとしている。
生けるもの皆、生きる喜びを謳歌しているようだ。
やがて、有峰湖の左側を走り抜けてビジターセンターに立ち寄る。
水と登山情報パンフレットを頂いてから、新折立トンネルを抜け駐車場に着いた。
さすがにダイヤモンドコースの出発点だけあって、駐車場は他県ナンバーで溢れている。
駐車する場所が無い程の人気のある登山口だ。
入山口には少々離れていたが、何とか車を駐車して足拵えを整えて出発する。
入山して直ぐの愛知大学生遭難十三重慰霊碑に合掌して、淡々とブナ林の太郎坂を登って行く。
途中の1871mの三角点を踏み、塵の一つも無い整備された登山道を進む。
やがて、目指すドッシリした山体である薬師岳の山容が左奥に姿を現した。
「気品のあるあの頂きまで、かなり登り堪えがある。」と気合をいれ直した。
しばらくいくと、花園がありコメツツジ・ムカゴトラノオ・ミヤマママコナ等を眺める。
五光岩が左手に見えるベンチに腰を降し、宿で拵(こしら)えて頂いた昼食を薬師岳を仰ぎ見ながら食べた。
明日、無事に登頂出来ることを祈った。
やがて、木枠で仕切られた石畳や木道で整備されたゆるやかな尾根道を登り、
植生再生中の路傍にはタテヤマリンドウがひっそりと咲いていた。
未だ陽は真上だが、広々とした主稜線上の太郎兵衛平に至り、やっと太郎平小屋に到着した。
ここから右手に見える頂きが、太郎山(2373m)である。
日没までには登って帰れないことも無いが、明日の本番を控え太郎兵衛平で眺望を楽しむことにした。
ベンチに腰をおろし、先ず冷えたビールで乾杯した。
ここからの眺めも最高で、南から「北ノ俣岳」「黒部五郎岳」「三俣蓮華岳」「鷲羽岳」「祖父岳」「水晶岳」が望める。
そして、薬師岳と2600m~2900m級の山岳が四方に聳え立つ素晴らしい景観に慕っていると、
浦和から来られたと言う40代半ばの岳人が、ベンチに衣類を乾させて下さいと寄って来た。
3人で2杯目のビールを再び乾杯して談笑した。
話によると、その彼は単独で折立から入山し、
ここから眺められる「北ノ俣」「黒部五郎」「三俣蓮華」「雲の平」と踏んできたとのこと。
そして今、薬師沢小屋から上って来たので、明日早朝に出立して薬師岳を踏んで折立に下山して帰省するとのことだった。
風も無く、いかにも平穏な山の夕暮れが迫っている。夕食後、再会を期して床に着く。
2階の大部屋は、地元の中高生の清掃登山者で足の踏み場も無いほど混雑していた、
一畳に2人、頭を交互に寝て、トイレの近い吾輩としては難儀した。
2日目(8月25日)
浦和の彼は早朝に出発したらしい。登山道で行き違いに成るかも知れない。
指道標に従い、広々とした高原を一旦鞍部の薬師峠まで下っていく。
目覚めたばかりのイワオウギやウサギギク・コイワカガミ・ハクサンイチゲ等が静かに咲いていた。
未だ眠っているらしい物音一つしないテント場の脇を通り抜け、歩きやすい木道を薬師平へと進む。
針葉樹が生い茂った緑の天蓋に覆われた樹林帯を、高度を稼ぎながら登って行く。
丈の低いオオシラビソと小さな池のある、ベストポイントの小庭園のような美しい原に出た。
爽やかな朝風の吹き抜ける気持の良い高原で一息入れた。
ここでも、アオノツガザクラやチングルマ、タカネヤハズハハコが咲き誇っていた。
やがて、灌木帯も無くなり森林限界に入ると、白い砂礫のザクザクした尾根を登っていく。
愛知大学遭難碑に立ち寄り、風雪避けの石塀で囲まれた薬師岳山荘を通り抜ける。
いよいよ展望コースで遮るものがない山稜を右手に、黒部の谷を隔てて大きな山体の赤牛岳を望む。
左手には陽の光が反射する有峰湖が覗かれる。
辺りにはトウヤクリンドウや花柄となったチングルマが砂礫の中を彩る。
それにしても広大で稜線と言うより、斜面を歩いているようで幅広い尾根には人間は我一人。
先に行った田中氏は見えない。太古の静寂の中に居るようで、そこに埋没している自分が酷く小さく思える。
さながら左右を望遠しながら、足元も見て可憐な花をカメラに収めた。
息遣いも荒く、脈拍も最高潮に達するころに愛知大学遭難ケルンに到着。
昭和38年(1963)1月
愛知大学生十三名が薬師岳山頂を目指していたが、俗に言う三八豪雪で想像を絶する猛吹雪と寒気に襲われ、
登頂を諦め、薬師平の第三キャンプに引き返す途中に、方向を誤り東南稜へ迷い込み全員遭難した。
その慰霊の為に、遺族が建立した。
その先の丘陵のような小岩稜に立つと、東側の眼下に大きな凹みが圏谷(カール)で、特別記念物に指定されている。
南稜カールに並んで、岩石氷河のある中央カール、S字状の堆石堤のある金作カール。
この3つの大きく判然とした氷河期の遺跡が、灰乳色の泥土と砂礫が縞模様に広がっているのが美しかった。
最後の急登をひと喘ぎ喘ぐと、ようやく絶頂に石置き屋根の祠が見える。先行した田中氏は祠の岩陰の風下で寛いでいた。
広くまろやかな礫岩の山頂には、窓枠の付いた祠の中に薬師如来像が祀られていた。
三角点標石は、風雪や岩崩れに耐えられず四方が欠けていて、何等までは判別できなかった。
それ程に、この山は厳しいのだと教えられた気がする。
山頂からの眺めは遠くで雲が湧き出して、今朝程の眺望はない。
それでも暫くの間、大展望に見とれ、再び登っては来れるかどうか、
充分に山頂の雰囲気を堪能して去りがたい山頂をあとにした。
下山はルンルン気分で山の鋭気を存分に吸いこみ、広大な稜線で大の字になって休憩する余裕があった。
愛知大遭難ケルンの先には迷い平とでも言うか、濃厚なガスが涌いた時には5mの先が見通せない。
その時のために、避難小屋の方向を示す道標が複数あった。
薬師平まで下って来ると今朝がた、お目に掛らなかった
カンチコウゾリナ・イブキジャコウソウやタカネシオガマ・オンダテ・ハクサンフウロウ・コバイケソウに会えて大満足。
太郎平小屋で昼食をして、折立の駐車場に午後3時に無事下山した。今夜の宿である大山町の白樺ハイツに向かった。
大山町は槍ヶ岳を開山した播隆上人の出身地であり、宿近くの町の歴史資料館に立ち寄り見聞を広める。
宿に入って、下山祝いと洒落こみ、明日の森田山に期待して床についた。
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*編集者からのひとこと*
9月19日は「苗字の日」です。
1870年のこの日、戸籍整理のため、太政官布告により平民も苗字を名乗ることが許された。
しかし、なかなか苗字を名乗ろうとしなかったため、1875年2月13日に、全ての国民が姓を名乗ることが義務づけられた。
~今日は何の日から引用~
今では当たり前に使用している苗字ですが、昔はそんなものなかったんですね。
小さい時はかっこいい苗字に憧れました(笑)
また最近は選択的夫婦別姓も話題になってますね。
私は別姓を選べるようになってもいいのではと思いますが、皆さんはどう思われますか?