240 三国山{ミクニヤマ} (1834m)
県=埼玉・長野・群馬(県境)
同行者=石井さん、田中さん
登山日:2003年3月17日(天気:雪)
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昨日、落葉の絨毯(じゅうたん)が敷き詰められた気持のよい山頂の物語山を下山して、明るい内に所々の屋根に残雪が見受けられる梓山に入った。久々に訪れた白木屋旅館。お二人とも、『この宿を足場にこの山域を歩いた。』ということで、お世話になった元女将さんと、懐かしい昔(むかし)噺(はなし)に時の経つのも忘れ話し込んだ。
夕食時に三国峠路は未だ雪深く纏ったままで、梓山から車で入れるのは、『精々一里程で有ろう。』と、宿の主人が話された。従って、三国山登頂には可也の時間を要する事が解った。天候も予報では芳しくないので、下山が午後にずれ込むだろうと予見して、甲斐大泉のロッジ山旅に明日の投宿を予約した。従って、今回の山行は二泊三日に急遽変更した。
三国と付く山名の山は、三国山で19山、三国岳で8山あります。
何れも県境に接していると言う事で付けられた山名で有ろうが、
中には甲武信岳の様に、それぞれの国の頭をとって付けられたものもある。
翌朝、予報通り空には厚い雲が垂れ下がり、行く手は煙幕を張られたような濃い霧の中を出発する。宿の主人が話していたように、中津川林道は4km進んだ所で膝まで残雪が車道にあり、先には進めなかった。Uターンして道路の端に止めた。冬の装備で整え、石井さんは和カンジキを装着して、ラッセルしてくれるという。側溝を跨いで、落葉(からまつ)松林を山頂を目指して直登して行くと、野兎やカモシカの足跡が見受けられた。春遠からず足元には雪虫が動き回っている。
やがて、静寂な冬枯れの雑木林に入り、残雪期しか登れない藪こぎを喘ぎながら登り切ると、風で雪が吹き飛ばされた岩稜に飛び出した。地図を広げ確認すると、長野・群馬県境の尾根上で群馬側は針葉樹の原生林で、人を寄せ付けない深山幽境の雰囲気を醸し出していた。思い起こせば、ここから4kmほど先には日航ジャンボ機が墜落した御巣鷹尾根がある。
現在地が確認できた。尾根上を西にとると、ぶどう峠~田口峠~余地峠~栂峠~十石峠など、歴史に残る上野と信濃県境峠が連なっている。東の方に痩せ尾根を辿ると、やがて三角点標石が風雪に晒(さら)された三国山山頂に立った。狭い山頂には、雑木に三国山の山名板が一枚だけ取り付けられていた。一服して下山に掛り、三国峠に下り立った。
雪深い峠は太い丸太と岩石で閉鎖されていた。峠から中津川林道を4km下り、車に戻って南佐久の山々と奥秩父の山々を眺めながら今夜の宿である甲斐大泉のロッジ山旅に向った。
以下、南佐久の山々と奥秩父の山々の写真を掲載します。
楽しんでいただければ幸いです。
*編集者からのひとこと*
1月14日は「タロとジロの日,愛と希望と勇気の日」です。
1959(昭和34)年のこの日、南極に置き去りにされた南極観測隊の2匹のカラフト犬・タロとジロの生存が確認された。
1956(昭和31)年の秋、南極観測船「宗谷」で11人の隊員が東京港を出発。15頭のカラフト犬も犬ぞり隊として参加した。1958(昭和33)年、第2次越冬隊を送り込む為再び「宗谷」は南極に向かったが、厚い氷にはばまれて断念。11人の越冬隊員はヘリコプターで救出されたが、15頭のカラフト犬は救出することができず、鎖につないだまま氷原に置き去りにされた。翌1959(昭和34)年のこの日、ヘリコプターが2頭の生存を確認した。南極から打電されたこのニュースは、世界を愛と希望と勇気の感動で包んだ。ジロは南極で死亡したが、タロは5年後に日本に生還して北海道で余生を過ごした。
~今日は何の日 毎日が記念日より引用~
「愛と希望と勇気の日」いいですね。暗いニュースも多いですが、タロとジロのように辛いことがあっても自分が諦めなければ、その先に希望はあると私は思っています。日常でも、『あ~忙しい。もう嫌だ…』と思ってしまいがちですが、『お仕事があるだけでもありがたい。』そう切り替えて、明日も頑張ります!