更新日:令和3年4月14日|神奈川県【道志】峰山{ミネヤマ}(570m)に2007年5月4日に師匠の石井さんと山友の田中さん・鈴木さん親子と登った山行です。オオイヌノフグリの群生にも出会え、山頂には三体石碑に古峰神社もあって、お天気が良ければ富士山も拝めるスポットとなっている山旅となっています。
山仲間で政府機関の団体職員である、
鈴木さんが仕事の関係で今般インドに赴任することになった。
彼の希望で送別山行に選んだのが道志山塊の北端に位置する峰山だった。
中央線の藤野駅で合流して、タクシーの相乗りで舟久保集落の十一面観音様まで入ってもらった。
立て掛けられた観音由来の前段に依ると
「数百年の歴史を辿れば、当時この地は人家も稀(まれ)にして嵐が来るかと思わせる程に、
梢を渡る千匹猿なぞ群棲したるという。各所に残る地名は、
狐狸なごの密集地と言われた貉澤、深夜集団で家畜などを襲ったと言われる。
莵の森、蚯蚓沢、九満蜂の群生で近づく事もできなかったと言う赤蜂など、
今に残る数々の地名は遠い原始林の昔を偲ぶに余りあると言えるだろう」と記してあった。
これを読むと我の故郷でも、貉・狸・狐・狼そして追い剝が、
出たと子供の頃に驚かされた事を懐かしく思い浮かべた。
お堂の前を南下して二股を左に入り、舗装の坂道を登って行くと開けた場所に出た。
石垣の面が焼けており集落の大火の跡で有ることが直ぐ解った。
焼け跡に新築の家も建ち始めていた。
眺めの良い南面から「緑と太陽の丘」の先に
道志山塊の山並みが連なって長閑な風景である。
先に進んで簡易舗装の坂道を登り尾根に差し掛かる処で簡易舗装道とも分け、
左の新緑が眩しい雑木林の稜線に取付き、
しばらく進むと「牛頭大王天」と刻まれた石碑に辿りついた。
明瞭な山筋には、巷では雑草として一括されるルリ色の小さな花をつけた
オオイヌノフグリが群生していた、山野ではなかなか美しいものだ。
陽の光が新緑の葉を通して射しこむ、緩やかな尾根を進むと、
地元の子供たちが設置した黄色の⇔舟久保⇔峯山の道標が有った。
標高は414mで小久保バス停への分岐でもある。
先の杉木立の中を進むと真新しい道標が有り、
大鐘からの合流地点で峯山まで1kmと標示されていた。
しっかりと踏み込まれた道は、こちら側が表参道らしい。
更に登って大久保への分岐を分け、ひたすら直登して行くと、やや平坦な頂の北端に上がると、
縦長の三体の原石に「風伯」「諸大龍王」「雨神」と刻まれた碑のある山頂に立った。
広い山頂の中央に、日本武尊を祀った木製の古峯神社の祠が有り、
解説版によると、「この神社は明治二十二年(1889)に再建されたもので、
それ以来、古峯ヶ原(栃木県前日光)講が結成され、
平成二年(1990)に講中結成百周年になった」と記してあり、
古峯神社は奥秩父の三峰神社と並び、火防・盗難除けに御利益があり、
三体の石碑は五穀豊穣を祈願して建てられたとあった。
北西の開けた枝越しに、上の原の扇山と権現山、
そして南西の空間から南都留の御正体山。
湧く雲の上に真っ白な富士山が顔を出していた。
しばし寛いで下山に掛かる。先程の大久保分岐まで戻り、
滑りやすい急降下の尾根道を一気に下り、
振り返れば麓の小学校の体育館の赤い屋根の上に峯山が有った。
下山した処に、バス停と「峯山紹介板」が有り、
峯山は(峰山)は古くから燃料の宝庫として地域住民の生活を支えてきた。
頂上に建立されている古峯神社は祭神が日本武尊で「火伏の神」として崇敬されてきた。
現在も祭事は5月3日に限り続けられている。と記してあった。
まだ陽も高くバス停で時刻表を確認して、
道を隔てた「やまなみ温泉」で汗を流して、軽く慰労と送別の宴をして車中の人となった。
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★管理人から令和のこそこそ噂話★
4月14日は「オレンジデー」です!
愛媛県の柑橘類生産農家が1994年に制定。
2月14日の「バレンタインデー」で愛を告白し、
3月14日の「ホワイトデー」でその返礼をした後で、
その二人の愛情を確かなものとする日。
オレンジ(またはオレンジ色のプレゼント)を持って相手を訪問する。
欧米では、オレンジが多産であることから繁栄のシンボルとされ、
花嫁がオレンジの花を飾る風習があり、
オレンジは結婚と関係の深いものとなっている。
~今日は何の日から引用~
我が家は柑橘系が好きなのですが、
最近では「はるか」みかんを購入してみました。
あっさりした味わいでぷるっとした触感が美味しかったです!
そろそろ終わりのようなので気にある方はお早めに購入を♪