吹越鳥帽子(青森)

15 吹越烏帽子(508m){フッコシエボシ}

県=青森・下北半島 一等三角点  同行者=石井さん・田中さん

登山日:2002年5月15日


Outdoor Style サンデーマウンテン

 野辺地からR279号線を大湊に向かって、「はまなすライン」を走って行くと、下北半島の美しい風景が入って来る。進行方向左には、優雅な陸奥湾が広がり、青い海の左前方には恐山山地の釜臥山や朝比奈岳などの山々が立ちはだかり、左後方の海を隔てた先には遠く八甲田山の山並みが白く輝き、広大な眺めが開けた、しばし心ゆくまで堪能できるルートである。

第一明平から吹越鳥帽子

 陸奥横浜に入ると、道路沿いのあちこちに菜の花畑を見掛ける様になる。R275号線から分かれて県道横浜六ヶ所線に入り、JR大湊線吹越駅の線路を渡って明神牧場を過ぎ、第一明神平から林道に入り、吹越烏帽子の登山口に向かうと、見渡す限りの黄色い絨毯が一面に広がり、青い空と吹越烏帽子のコントラストが見事だ。鮮やかな景色と甘い香りを包ませてくれる。暫く砂利道を走り、やがて大きな吹越烏帽子~泊・陸奥横浜停車場線縦走路の案内板が目に入り、並列して烏帽子岳登山道入口と記された道標があった。

登山口にある案内板と道標

広場に駐車してアカマツ林を右に見て、小さな沢を渡り杉の植林を抜けると道が二股に分かれる。分岐を道標に従い左手にとって、雑木林の尾根に乗る。明るい樹林をなだらかに登ってゆくと、ガレ場の小平地が現れ、斜面には真っ赤なヤマツツジやアズマギクの薄紫の花などが草地を彩っている。やがて行く手に山頂が見え、振り向けば広大な菜の花畑や色とりどりの牧場が

赤つつじ
アズマギク

見渡せる気持のよい尾根道だ。眺望が開けた歩きづらい砂礫の急登は、野芝の中に珍しいアマナスミレが目に入り、息苦しい登りを癒してくれた。先行した田中氏は山頂に着いただろう。傾斜の増した山頂直下にはロープが張られ、重たい足を運んでくれる。やがて傾斜も緩くなり、野芝の山頂に小さな鳥居と祠が見えてくる。登り切った笹原と芝地の頂上には一等三角点標石と大山祇(おおやまずみ)神社が祀られ、山頂表示は吹越烏帽子で岳または山は付いていない。  

吹越鳥帽子 山頂 一等三角点

しばしの眺望を楽しんだ後、眺めていたい誘惑を断ち切って腰を上げた。四方を遮るものがない広い山頂からは、陸奥湾は勿論のこと、下北の山々、そして太平洋側に目を転ずれば、六ヶ所村の核燃料サイクル施設や国家石油備蓄基地が広大に見渡せる。そして白鳥の渡来で名高い尾鮫沼をはじめ大小の沼が浮かんで見えた。

登山口の案内板にも記されていた縦走路が、山頂からの道が登ってきた方向と反対の方向にも続いていた。御宿山や八郎烏帽子そして月山を越えて泊に至るらしい。来た道を登りの三分の一の歩行時間で戻り、日本一と言われる横浜町松栄の菜の花畑を見に行き、黄色一面の畑を前景に吹越烏帽子の素晴らしい姿を写真に収め、今夜の宿のある、むつ市に向かった。

尾鮫沼と大小の湖沼 小川原湖まで望めた
国の石油備蓄基地 51基
松栄からの端正な吹越烏帽子 見事な菜の花畑

むつ市に戻り、日の暮れるまで斗南藩に纏わる上陸地点や史跡を訪ね歩いた。そこに記されていた碑をまとめて見た。明治維新に際し、明治元年(1868)の戊辰戦争に敗れ、廃藩の憂き目にあった会津藩は斗南藩として再興が許され、旧盛岡藩領の北郡へ移封され、現在のむつ市を中心に、会津から移住してきた藩士とその家族17、300余人と記録されている。

新しい藩庁が置かれた田名郡(現:むつ市)を目指して新潟港から北の果ての不毛の地に上陸。戊辰戦争以降、朝敵という汚名を着せられながら生き続けてきた会津人にとって、旧斗南藩主松平容大の令姪節子(後に改名勢津子)が秩父宮擁仁殿下との婚儀は、やはり会津は逆賊でなかったことが、天下万民に知らしめられたと記されていた。

 

 
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